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高知地方裁判所 昭和49年(ワ)501号 判決

原告

黒河勝義

原告

中村美和子

原告両名訴訟代理人

浜田耕一

被告

竹中清子

右訴訟代理人

中平博文

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、それぞれ金六九四万五三八七円及びうち金六六四万五三八七円に対する昭和四九年一一月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告黒河勝義(以下「原告勝義」という。)は、訴外亡黒河正幸(昭和四八年三月三日生。以下「正幸」という。)の父であり、原告中村美和子(以下「原告美和子」という。)は、正幸の母である。

被告は、高知市愛宕町二丁目一〇番三一号において、富士保育所の名称で託児所を経営していた。

2  保育委託契約の締結

原告らは、昭和四八年七月一九日、被告との間で、三日に一回の割合で午後四時から同一二時までの間正幸の保育を被告に委託し、保育料として一回につき八〇〇円を支払う旨の契約(以下「本件保育委託契約」という。)を締結した。

3  正幸の死亡

原告美和子は、本件保育委託契約に基づいて、同月二二日、被告に正幸の保育を委託したところ、正幸は、同日午後七時ころ、前記保育所一階個室内のベビーベッド(以下「ベッド」という。)の上でうつ伏せになつて死亡した(以下「本件事故」という。)。

4  本件事故の原因

(一) 正幸は、ベッドの上で寝返りをして吐乳したが、その時ベッドの柵によつて頭の運動を制限され、顔を横に向けることができなかつたために、吐乳を誤えんし、そのうえ、ベッドに置かれていたマットのクッションで鼻を圧迫され、右吐乳の誤えんと鼻の圧迫によつて窒息の状態となつた。そして、このとき一時的呼吸困難により急激な衰弱状態が発生して右窒息の状態が継続し、死亡するに至つたものである。

(二) 右の事実は、次の各事実により明らかである。

(1) 生後四か月余り経過した健康な乳児であつて、しかも授乳後一時間を経過した場合であつても、咳をしたり、体位を変換することなどによつて、吐乳することがある。現に、正幸が死亡したベッドに置かれていたマットには、直径約九センチメートルの吐乳跡があり、正幸の気管及び気管支の中に乳液が存在したのであるから、正幸が吐乳したことは明らかである。

(2) 正幸は、ベッドの東端の柵に頭をくつつけるような状態で、口や鼻をマットで塞ぐようにして死亡していた。そしてまた、正幸の左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の表皮剥脱があつた。これらの事実から、正幸がベッドの柵によつて頭の運動を制限され、顔を横に向けることができなかつたことは明らかである。そして、前記のとおり、正幸の気管及び気管支内に乳液が存在したのであるから、吐乳を誤えんしたものといわざるを得ない。

(3) 更に、正幸が死亡したベッドに置かれていたマットは、厚さが3.2センチメートルあり、これは、やつと顔を持ち上げるようになつた正幸が頭の運動を制限されたとき、その鼻や口を塞ぐのに十分なものである。

(4) また、窒息死の三大徴候として、①血液が暗赤色流動性であること、②粘膜や漿膜に溢血点があること、③内臓にうつ血があること、があげられているところ、正幸を解剖した結果、右①ないし③の各徴候が認められた。

(5) 仮りに正幸の死亡が乳幼児突然死症候群(SIDS)によるものであるとすれば、正幸に何らかの病的な状態が存在したはずであるが、正幸には何らの病的状態も存在しなかつたのであるから、正幸の死亡は乳幼児突然死症候群によるものではない。

5  被告の責任

(一) 被告は、昭和四八年七月二二日午後四時ころ、本件保育委託契約に基づいて原告美和子から正幸の保育の委託を受けたものであり、しかも、保育所を経営し、乳幼児を預かつてその生命、身体の保護養育をする業務に従事していたのであるから、十分注意して正幸の生命、身体の保護養育につとめる義務があつた。

(二) 更に、原告美和子は、昭和四八年七月一九日、本件保育委託契約を締結するに際し、被告に対し、特に「正幸は一週間位前からやつと寝返りをするようになつて、寝返りをしたらそのままになるから注意してくれ。ミルクを飲んだらゲップをするから横にしてくれ。また、手当たり次第顔に物を持つていくようになつたからよく注意してもらいたい。」と注意を与えていたのであるから、被告は、正幸がそのような年齢、状態にあることは十分知つていたし、本件事故の発生した昭和四八年七月二二日は、正幸の保育の委託を受けて同人を預かるのはまだ二度目で、正幸の状態が十分わかつていたとはいえなかつたのであるから、保育中正幸の動静には特に十分注意する義務があつた。

(三) そして、被告は、正幸が前記4記載の経過をたどつて窒息死することを当然予想できたはずであり、しかも、窒息死を防止することは容易であつた。

(四) しかるに、被告は、正幸を通路を隔てた見通しの悪い、しかも、泣き声さえも聞きとれない個室に長時間一人で寝かせて放置し、前記の各義務を十分尽さなかつたため、正幸を窒息死させ、その結果原告らに健全な正幸を引き渡すことができなかつた。

6  損害

(一) 正幸の逸失利益と相続(各四一四万五三八七円)

正幸は、本件事故当時約4.5か月の健康な男子であつたから、その余命は71.16年であり、生存していれば、満一八歳から満六七歳までの四九年間は稼働しえたはずである。そして、右期間中稼働すると毎月七万五四〇〇円の賃金と毎年一〇万五一〇〇円の賞与(年合計一〇〇万九九〇〇円)を得るから、右期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につき新ホフマン式計算(これによればホフマン係数は16.419である。)を用いて死亡時の逸失利益を算出すれば、八二九万〇七七四円となる(1,009,900×0.5×16.419=8,290,744)。

原告らは、正幸の父母として、これを二分の一ずつ各四一四万五三八七円宛相続した。

(二) 原告らの慰謝料(各二五〇万円)

(1) 原告らは、被告に正幸の保育を委託するに際し、前記5(二)のとおり被告に十分注意を与え、安心していたもので、被告の一方的な落度による正幸の死亡により絶大な精神的苦痛を被つた。

(2) また、原告らは、結婚後高知市宝町の原告勝義の母のもとで生活していたが、正幸が出生したので、原告らと正幸の三人でアパートを借りて暮らすことにし、原告勝義は花屋の店員として、原告美和子はホステスとして、それぞれ勤務していた。しかし、正幸が死亡したのちは、アパートを借りて苦労をする気持ちもなくなつた。しかしながら、原告美和子は、アパートを借りるためにその勤務先から二〇万円を借りていたので、その支払のためにホステスをやめることもできなかつた。そのため、原告らの間で意見の対立が生じ、離婚した。

(3) 更に、被告は、本件事故後全く誠意ある態度をみせず、原告らに対し、「裁判をするならせよ。それまでに金を貯えておく。」と言つて、現在までなんら慰謝の措置を講じていない。

(4) このような原告らの精神的苦痛を慰謝するため、これを金銭に見積れば、少なくとも各原告につき二五〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用(各三〇万円)

原告らは、被告が今日に至るも何らの誠意も示さないので、やむを得ず本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し、高知弁護士会報酬規程の範囲内で報酬を支払う契約をした。そして、本件における相当因果関係のある弁護士費用は各原告につき三〇万円が相当である。

7  結論

よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、それぞれ六九四万五三八七円及びうち弁護士費用を除く六六四万五三八七円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四九年一一月二六日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

(認否)

1 請求原因1ないし3の事実はすべて認める。

2 同4について

(一) (一)の事実は否認する。

(二) (二)につき

(1) (1)のうち、正幸の気管及び気管支内に乳液が存在したことを認め、その余の事実は否認する。

(2) (2)のうち、正幸の左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の表皮剥脱があつたこと並びに同人の気管及び気管支内に乳液が存在したことは認め、その余の事実は否認する。

(3) (3)のうち、正幸の死亡したベッドに置かれていたマットの厚さが3.2センチメートルであつたことは認め、その余の事実は否認する。

(4) (4)のうち、原告主張の①ないし③の徴候が窒息死の徴候であるとの主張は争い、その余は知らない。

(5) (5)のうち、正幸に何らの病的状態が存在しなかつたことは認め、その余は争う。

3 同5について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)のうち、被告が正幸の保育の委託を受けて同人を預かつたのは、昭和四八年七月二二日が二度目であつて、正幸の状態が十分わかつていたとはいえなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) (三)の事実は否認する。

(四) (四)のうち、被告が正幸を個室に一人で寝かせたこと及び原告らに健全な正幸を引き渡す義務を履行できなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

4 同6について

(一) (一)のうち、正幸が死亡当時約4.5か月の男子であつたことは認め、その余の事実は知らない。

(二) (二)につき

(1) (1)の事実は否認する。

(2) (2)の事実は知らない。

(3) (3)のうち、被告が原告らに対し賠償していないことは認め、その余の事実は否認する。

(4) (4)の事実は否認する。

(三) (三)のうち、原告らが本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任したことは認め、その余は否認する。

(被告の主張)

1 本件事故の原因は窒息死ではない。

(一) 正幸は吐乳していない。

健康な乳児が飲んだ人工乳は、その一時間経過後には顆粒状ないしつぶつぶ状をなして胃液内に混在しているのが通常であるから、これを吐乳したときは固まつているのでマットにしみ込まず、表面に凝固乳が見え、白いかすのようなものが残るはずである。しかるに、正幸はミルクを飲み、約一時間経過していたにもかかわらず、ベッドのマット上には直径九センチメートルの円型の染みが認められるのみで、そこには凝固状の白いかすのような乳液の痕跡は認められなかつた。

また、仮に正幸が吐乳したものであれば、その口腔内に凝固状の乳液が少しでも残存していなければならないのに、その事実はない。

(二) 正幸は、仮りに吐乳したとしても、これを誤えんし、窒息死したものではない。

(1) 前記のとおり、正幸は、ミルクを飲んで約一時間を経過していたので、ミルクは凝固乳と化していたはずである。また、正幸は極めて健康体であつた。

ところで、異物を気管内に吸引すれば、生体は当然拒絶反応を示し、強く咳き込むはずである。そして、右拒絶反応は、液体を吸引した場合よりも凝固乳を吸引した場合のほうが、また、疾病のある場合よりも健康体である場合のほうが、それぞれより強く現われ、その強弱は乳幼児と大人との間に差異はない。更に、ベッドのマットは、ベニヤ板に枠木を打ち、これに綿状のクッションを少量入れて綿布で全体を覆つたもので、クッションは薄く、殆どクッションのない状況であり、また、付近に毛布等の軟いものもなく、ベッドが深く窪むこともない状態であつたので、拒絶反応は容易になしうる状況にあつた。

従つて、仮りに正幸が吐乳を誤えんしたとすれば、当然強く咳き込み、その音声は正幸を寝かせた個室(扉は全部開放されていた。)の近くにいた被告や被告の従業員に聞こえたはずであるが、被告らはこれを全く聞いていない。

(2) また、吐乳を誤えんして窒息したのであれば、気管及び気管支内に多量の乳液が存在し、かつ、その乳液は生活反応を示し、細小泡沫を生じているはずであるが、正幸が死亡した当時、その気管及び気管支内には細小泡沫のない少量の乳液が存在したにすぎない。この乳液は瀕死期ないし死戦期の随伴現象として、痙れんに伴なう胃の収縮により逆流し、吸引されたものである。

(三) 正幸は、ベッドの柵により頭の運動が制限されたり、マットのクッションで鼻を圧迫されたものではない。

(1) 正幸を寝かせたベッドは、幅0.78メートル、長さ1.33メートル、高さ0.78メートルの木製組立式のもので、床上0.34メートルの位置に厚さ3.2センチメートルのマットが置かれていた。そして、前記のとおり、マットには少量のクッションしか入れておらず、殆んどクッションのない状態であつたし、付近には毛布等の軟いものは置いておらず、ベッドが深く窪むことはなかつた。

(2) 正幸は生後四か月一九日を経過した健康な乳児であつた。そして、生後四か月の正常な乳児は、首は完全にすわり、伏臥位で顔をベッドから四五ないし九〇度上げることができ、正幸も死亡した日の一週間ないし一〇日前から寝返りをするようになつており、伏臥位になつても顔を上げるし、横向きもできるし、また、仰臥位に戻ることもできた。

(3) 従つて、ベッドの面積、構造及びマットの硬さ、状況並びに正幸の発育程度等から判断すると、正幸がベッドの柵により頭の運動を制限されたり、マットのクッションで鼻を圧迫されたとはいえない。

(4) なお、正幸の左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の表皮剥脱があつたが、これは死因と無関係である。

2 右(一)ないし(三)のとおり、正幸が窒息により死亡したとは考えられず、正幸の死亡は乳幼児突然死症候群によるものである。

そして、乳幼児突然死症候群は、発生原因が不明であり、その発生を予見し、又はこれを回避することは不可能である。

三  抗弁(帰責事由の不存在)

1  被告は、昭和四八年七月二二日午後六時過ぎころ、正幸を個室に寝かせたが、これは、①同日一九日、正幸を預かつたときにも正幸を個室に寝かせたが、このとき正幸は個室でよく眠つたこと②本件事故の発生した日、大広間は騒がしく、ミルクを飲んだ後眠りかけていた正幸を寝かせるには適さなかつたことによるものである。

そして、当時個室の扉は開放してあり、被告とその従業員は、個室の隣の大広間にいたのであるから、正幸を個室に寝かせても、十分これを監視できる状態にあつた。

2  その後被告は、右二二日午後六時五〇分ころ、正幸の泣き声を聞いて様子を見に行つたが、同人が大の字になつて寝ていたので安心して大広間に帰つた。そして、その後二〇分ないし四〇分の間に正幸は死亡したものであるが、被告は、その間同人の泣き声や咳き込む声を全く聞いていないので、何ら異常を感ずることもなく、死亡という突発的事態の発生は予測できなかつたので個室の見回りをしなかつた。

3  従つて、被告が正幸を個室に寝かせたこと及び同日午後六時五〇分ころ以後個室の見回りをしなかつたことをもつて被告に責に帰すべき事由があつたとはいえない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、被告とその従業員が正幸を十分監視できる状態にあつたとの点は否認し、その余の事実は知らない。

2  同2のうち、被告が正幸の死亡という事態の発生を予測できなかつたとの点は否認し、その余の事実は知らない。

3  同3は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし3について

請求原因1ないし3の事実はすべて当事者間に争いがない。

二本件事故が発生するに至つた経緯等について

右当事者間に争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められ〈る。〉

1  原告美和子は、昭和四八年七月二二日午後四時三〇分ころ、被告との間で締結した本件保育委託契約に基づいて、被告に正幸を預けた。

このとき、正幸は生後四か月一九日を経過しており、それまで病気をしたこともなく、一週間ないし一〇日位前から寝返りをするようになり、うつ伏せになつても、顔を上げたり、横にしたりすることもできる状態であつた。

2  その後、被告は、その経営する富士保育所(その構造は別紙図面のとおりである。)の従業員楠瀬朝に正幸を渡した。そして、楠瀬が正幸を同保育所一階の大広間の小児用ベッドに寝かせたところ、正幸は、同ベッドの上で元気に遊んでいた。

3  その後、同日午後六時ころ、右楠瀬は、被告の指示に従つて、正幸に約二〇〇ccのミルクを飲ませ、暫くして同人を右大広間の西南に隣接する個室(約7.3平方メートル)のベッドに、同人の頭を南向けにして仰むけに寝かせ、同部屋を出た。

なお、右ベッドは、幅0.78メートル、長さ1.33メートル、高さ0.78メートルの木製組立式のもので、床上0.34メートルの位置に厚さ3.2センチメートルのマットが置かれていた。右マットは、ベニヤ板に枠木を打ち、これに綿状のクッションを少量入れて綿布で全体を覆い、上面の中央寄りの六か所を直径2.4センチメートルのボタン状のもので止めていたもので、クッションとして入れられたものは極く少量で薄く、殆どクッションのない状況であつた(右マットの厚さが3.2センチメートルであつたことは当事者間に争いがない。)。

4  被告は、同日午後六時三〇分ころ、正幸の泣き声を聞き、同人の様子を見に行つたが、同人が既にベッドの上で大の字の形になつて仰むけのままよく眠つていたので、夢でも見て泣いたのかと考え、そのまま大広間に帰つた。

5  その後、同日午後七時一〇分ころ、被告が正幸のおむつを取り換えようとして同人を寝かせていた個室のベッドの付近に行つたところ、同人は、頭を南向きにしたまま、ベッドの東側の柵の近くでうつ伏せになり、ベッドのマットで口や鼻を塞ぐようにしていた。そこで、被告が急いで正幸を抱き起こすと、同人の口唇は紫色になり、目をつぶり、呼吸が停止していた。被告は、直ちに電話で救急車を呼び、正幸を愛宕病院に運び込んだが、同病院医師松田義朗により、既に正幸が死亡していたことが確認された。なお、正幸の死亡推定時刻は、同日午後七時〇〇分とされている。

そして、右マット上には、正幸の顔が位置していた付近に、直径約九センチメートルの染みがあつた。

6  正幸の遺体は、被告に対する業務上過失致死被疑事件として、いわゆる司法解剖に付され、解剖検査の結果、次の事実が判明した。

すなわち、①正幸は、身長約七一センチメートル、体重約7.5キログラム、頭囲約四五センチメートルであつて、体格、栄養とも佳良な状態であつた。②左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の軽度の表皮剥脱が各一個あり(正幸の左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の表皮剥脱があつたことは当事者間に争いがない。)、また、左鼻翼前面には半米粒大の皮下出血があつた。③鼻孔から淡赤褐色の腐敗汁が僅かに漏出していた。④口腔内には乳液その他の異液がなかつた。⑤脳は強くうつ血していたが、出血などの異常はなかつた。⑥気管及び気管支内には乳黄色の乳液があつた(この事実は当事者間に争いがない。なお、この乳液の分量について、前記乙第三号証(鑑定書)には、気管において若干量、気管支内において相当量との記載があるが、それ以上具体的な分量は不明である。)。⑦胸腺の重量は約六〇グラムで、赤紫色表面に多数の蚤刺大ないし半米粒大の溢血点があり、その割面は血量がやや多かつたが、病変はなかつた。⑧心臓は正幸の手拳大で、その重量は約四〇グラムで、右心室より心臓を圧迫すると血液が流出した。そして、漿膜下に半米粒大の溢血点が数個あり、心臓摘出時に大血管より流動性の血液が流出した。⑨左右の肺にはうつ血が強く(右肺のほうが強い)、その表面に粟粒大ないし米粒大の溢血点が多数あつた。⑩脾臓の血量はやや多く、左右の腎臓はうつ血が強く、肝臓もうつ血していた。また、膵臓頭部漿膜下に大豆大の溢血点が一個あつた。⑪胃の内部にやや褐色を帯びた乳一〇ccがあつた。⑫十二指腸内には胃内容と同じ液が中等量、小腸には乳黄褐色の液が少量それぞれあつた。

三本件事故の原因(正幸の死因)について

1  原告らは、「①正幸は、ベッドの上で寝返りをして吐乳した。②しかし、正幸は、ベッドの柵によつて頭の運動を制限され、顔を横に向けることができなかつたために右吐乳を誤えんした。③そのうえ、正幸は、ベッドに置かれていたマットのクッションで鼻を圧迫された。④そして、正幸は、右吐乳の誤えんと鼻の圧迫により窒息の状態になり、一時的呼吸困難により急激な衰弱状態が発生して右窒息の状態が継続し、正幸は死亡した。」と主張する。

そこで、以下右主張事実について、順次検討する。

(一)  正幸が吐乳したとの点について

〈証拠〉によれば、全く健康に異常のない生後四か月半を過ぎた乳児が、授乳後一時間を経過した場合であつても、咳をした後とか、軽い上気道炎があつた場合、軽い消化不良があつた場合あるいは寝返りをした場合などには、稀に吐乳することがありうることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない(もつとも、〈証拠〉中には、健康な生後四か月二〇日を過ぎた乳児であれば、授乳後一時間を経過した場合には吐乳することはないかのような記載があるが、これは、右のような場合についてまでも全く吐乳しないという趣旨ではないと考えられるので、前記認定の妨げとはならない)。

そして、前記二3ないし5で認定したとおり、正幸は、昭和四八年七月二二日午後六時ころ、二〇〇ccのミルクを飲み、その後暫くしてベッドに仰むけに寝かされた。そして、同日午後六時三〇分ころ、被告が正幸の様子を見に行つたときも、同人は仰むけで寝ていた。その後、同日午後七時一〇分ころ、被告が正幸を見たときには、同人はうつ伏せになつていたのであるから、正幸は、同日午後六時三〇分から遅くとも同日午後七時一〇分ころまでの間に寝返りをしたものと考えられる。

また、前記二5及び6で認定したとおり、正幸が死亡したベッドのマット上には、同人の顔が位置していた付近に直径約九センチメートルの染みが存在し、正幸の気管及び気管支内には乳黄色の乳液が存在した。

原告らは、右各事実をもつて、正幸が吐乳したことは明らかであると主張するが、〈証拠〉によれば、健康な生後四か月半過ぎの乳児が授乳してから一時間後に吐乳することは稀であること及びミルクを飲んで三〇分以上を経過すれば、ミルクは通常胃液の作用により凝固乳になり、これがマット上に吐乳されると、マットにはしみ込まず、マットの表面に白いかすのようなものが残ることが認められる。しかるに、前記乙第五号証によれば、前記染みの部分に白いかすのようなものが存在していたとは認められない。更に、前記二6で認定したとおり、正幸に対する解剖結果によると、同人の口腔内に乳液等の異液は存在しなかつた。そしてまた、気管及び気管支内に乳液があつたとの点についてみても、前記乙第一七号証の一、同一八号証及び同第二一号証によれば、いわゆる死戦期現象として、呼吸杜絶のもとで死亡する経過の中で、その随伴現象である痙れんに伴う胃の収縮によつて胃の内容物が逆流し、乳液が気管及び気管支内に吸引されることもありうることが認められる(この認定に反する前記乙第二〇号証中の記載部分は前掲各証拠に照らし採用できない。)。

従つて、右認定した諸事実から判断すると、正幸が吐乳したことが明らかであるとは到底いえず、むしろ、その可能性は極めて薄いものといわなければならない。

(二)  正幸が吐乳を誤えんしたとの点について

右(一)で判断したとおり、正幸が吐乳した可能性は極めて薄いものであるが、この点はさておき、仮りに正幸が吐乳したとして、次に正幸がこれを誤えんしたかどうかの点について検討する。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。すなわち、生後四か月半を経過した健康な乳児が、ミルクを飲んで一時間を経過し、凝固化したミルクを誤えんした場合には、通常強い拒絶反応を示す。そして、この拒絶反応は、液体を吸引した場合よりも凝固化した乳(ミルク)を吸引した場合のほうが、また、疾病のある場合よりも健康体である場合のほうが、それぞれより強く現われ(正幸が健康体であり、また吐乳を吸引したとすれば、それは少なくとも授乳後三〇分以上を経過した後であり、その場合にはミルクは凝固化していることは前記のとおりである。)、その強弱は乳幼児と大人との間に差異はない。

但し、〈証拠〉によれば、生後四か月半を経過した健康な乳児であつて、しかも、ミルクを飲んで一時間を経過した場合であつても、物が顔のそばにあるなどして頭の運動が物理的に制限されている場合、あるいは何らかの刺激によつて急に無呼吸が起き、それがある程度時間が経つて体の酸素不足で急性の衰弱を起こした場合には、拒絶反応で拒否することなく吐乳を誤えんする可能性があることが認められる。

そして、前記二5及び6で認定したとおり、正幸は、ベッドの東側の近くでうつ伏せになり、ベッドのマットで口や鼻を塞ぐようにして死亡していたものであり、その左前額部の髪際部と左眉端部付近に米粒大の表皮剥脱が各一個、左鼻翼前面に半米粒大の皮下出血が存在し、また、気管及び気管支内に乳液が存在した。

原告らは、右各事実をもつて、正幸はベッドの柵によつて頭の運動を制限され、顔を横に向けることができず吐乳を誤えんしたと主張する。

しかしながら、前記二1及び2で認定したとおり、正幸は、生後四か月一九日を経過した健康な乳児であつて、寝返りをしてうつ伏せになつても顔を上げたり、横にしたりすることができる状態にあり、また、ベッドは幅0.78メートル、長さ1.33メートルの木製組立式のもので、そこに置かれていたマットは殆んどクッションのないものであつた。そして、〈証拠〉によれば、同マット上には幅0.66メートル、長さ0.91メートルの毛布が一枚あつたのみで、ベッドの柵以外に正幸の頭の運動を制限する物があつたとは認められない。

従つて、正幸が死亡していたときの状況及び同人の表皮剥脱、皮下出血の存在をもつてしても、直ちに正幸の頭の運動が制限されていたとは認められない。

そしてまた、〈証拠〉によれば、吐乳を誤えんして窒息死した場合には、その解剖所見において気管及び気管支内に、これらをほぼ埋める程度の大量の乳液の存在が確認される必要があることが認められる。しかるに、前記二6で認定したとおり、正幸に対する解剖所見が記載されている前記乙第三号証には、気管において若干量、気管支内において相当量の乳液を確認した旨の記載があるのみで、かつ、右解剖を実施し、乙第三号証を作成した松田義朗の被告に対する業務上過失致死被告事件における証人尋問調書(乙第一六号証)中にも「(吐乳を)もつとがつくり吸い込んでおればはつきりしますが、丁度境界線位にしか吸い込んでいませんので吐乳誤えんだけを死因にはできないのです。」との記載があり、正幸の気管及び気管支内に、これらをほぼ埋める程度の大量の乳液が存在したとは認められない(なお、前記乙第一七号証の一及び同第一八号証中には、吐乳を誤えんし、窒息死した場合であれば、必ず気管及び気管支内の乳液に細小泡沫を生じているはずであるとの記載部分があるが、前記乙第二一号証に照らせば、右記載部分は直ちには採用できない。)。

そして、前記のとおり、いわゆる死戦期現象として乳液が気管及び気管支内に吸引されうることも考慮すれば、正幸が窒息死に至る程の吐乳を誤えんしたものとは断定し難い。

(三)  正幸が鼻や口を閉塞されたとの点について

原告らは、ベッドのマットは厚さが3.2センチメートルあり、頭の運動を制限された正幸は、右マットによつて鼻や口を閉塞されたと主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、①正幸は、寝返りをしても顔を上げたり、横にしたりすることができる発育状態にあつたこと、②マットには殆んどクッションがなかつたこと、③マット上には正幸の頭の運動を制限するものがあつたとは認められないことの各事情からすれば、正幸がマットによつて鼻や口を閉塞されたとは認められない。

(四)  正幸の死体に窒息死の三大徴候があつたとの点について

前記二6で認定したとおり、正幸の死体には、①心臓摘出時に大血管から流動性の血液の流出があり、②胸腺の表面、心臓の漿膜下、左右の肺の表面及び膵臓頭部漿膜下に溢血点が存在し、③脳、左右の肺、左右の腎臓及び肝臓にうつ血があり、脾臓に血量がやや多い、という徴候が存在する。そして、〈証拠〉によれば、窒息死体には、血液が暗赤色流動性であること、粘膜や漿膜に溢血点があること、内臓にうつ血があること、の特徴があること及び正幸の死体の右①ないし③の徴候はこれに該当するものであることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、右ないしの特徴は、窒息死体固有の特徴ではなく、後述する乳幼児突然死症候群も含め、いわゆる急性死の死体に共通して存在する特徴であることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

従つて、正幸の死体に右①ないし③の徴候があつたことをもつて、正幸の死因が窒息死であるということはできない。

2  被告は、正幸が死亡するに至つたのは、乳幼児突然死症候群(SIDS)によるものであると主張する。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

すなわち、乳幼児突然死症候群とは、「乳児又は幼児の突然死のうちで、病歴上予知することができず、しかも、死後の検査によつても決め手となる死因の実証を欠くもの」と定義されており、その定型的経過としては、健康な乳幼児が常日頃の仮眠又は夜間に就眠していたものが、その直後又は翌朝になつて死亡しているのに気づく突然死であつて、生後六か月までの乳児に多いが、危険年齢はおおよそ三歳未満までである。そして、乳幼児突然死症候群により死亡した死体には、右三1(四)記載の血液が暗赤色流動性であること、粘膜や漿膜に溢血点があること、内臓にうつ血があること、の急性死に共通する特徴が存在し、その外、気管及び気管支内に乳液が存在することも多い(但し、その量は、前記のとおり窒息死体の場合には多量であるが、乳幼児突然死症候群による場合にはそれよりも少量である。)。また、乳幼児突然死症候群を誘発する原因の一つとして、胸腺の肥大(胸腺の平均重量は二九グラムである。)が指摘されている。

ところで、前記認定のとおり、正幸は、生後四か月一九日を経過した乳児であつて、本件事故の発生まで病気をしたこともなく成長し、突然本件事故により死亡したものである。そして、その解剖結果によれば、右ないしの特徴を有し、気管及び気管支内には、これらを埋める程ではないが乳液が存在した。また、胸腺の重量は六〇グラムであつて、平均の約二倍であつた。

以上の事実からすれば、正幸の死亡は乳幼児突然死症候群によるものであるとみるのが相当である。

原告らは、乳幼児突然死症候群が発生する場合には、何らかの病的な状態が存在するはずであるが、正幸には何らの病的状態も存在しなかつたのであるから、正幸は乳幼児突然死症候群によつて死亡したものではないと主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、乳幼児突然死症候群は、定型的には健康な乳幼児に発生するものであり、ただ鼻かぜ程度の病的状態がある場合にも発生しうるというに止まり、何らかの病的状態が存在することが必須条件とされるものではないことが認められ、原告らの右主張はその前提を欠き採用できない。

そして、〈証拠〉によれば、乳幼児突然死症候群は、発生原因が不明であり、その発生を予見し、又はこれを回避することは不可能であることが認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

従つて、正幸の死亡が右乳幼児突然死症候群によるものとみるのが相当である以上、被告が昭和四八年七月二二日午後六時三〇分ころ以降(同時刻ころまで正幸に異常がなかつたことは前記二4で認定したとおりである。)、正幸を寝かせていた個室に赴き、同人の状態を監視していたとしても、同人の死亡を未然に防止することは不可能であつたといわなければならない。

四結論

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(山口茂一 大谷辰雄 田中敦)

別紙図面〈省略〉

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